パワーかフォースか
前回の記事で「パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学」と言う本を読んでいると書きました。
今の段階で2/3ほど読みました。
で、感じていることはU理論のプレセンシングに至るための人のあり方(being)が書かれている。と思ってます。
この本はデンマークでは著者がナイト爵の栄誉を与えられたり、韓国ではベストセラーとなって「素晴らしい教育者」の称号を著者に贈っています。
本では「パワー」は人の内から湧いてくる力、例えば愛、やる気、慈愛、いたわりなど、「フォース」は人が外げ向けて出す力、例えば支配、恐怖、絶望などです。
パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学を書くきっかけとなったのはOリングテストで知られるキネシオロジーだったようです。
なぜ人は言葉によって筋力が変わるのか?
著者は人をこのように考えています。
「全ての記録が保存されている大きなデータベースにつながったコンピュータのようなもの」
少しスピリチュアルなことに興味のある方なら聞いたことがあると思いますがこのデータベースはアカシックレコードの事だと考えられます。
色々な人がアカシックレコードに繋がる方法を探していますが、それがキネシオロジーのようです。
また、キネシオロジーで色々な答えが得られると確信した著者は人のレベルを数字で表しています。
悲惨や恥:20、悪や罪悪感:30、敵対:150、勇気:200、愛:500などです。
数字で表わしてくれているのでわかりやすいし、馴染みやすです。
また、200以下はフォース、200い上はパワーになるとも書いています、そして、パワーはフォースに勝とも。
インドのマハトマ・ガンジーの例などをあげています。
色々なパワーも書かれています。
スポーツ、芸術、政治、市場、ビジネスなどです。
この本を読んでいて感じたことは、仕事をする上では良くフォースを使って人から何か(例えば金銭など)を奪い取ろうとしますが、パワー(愛や喜び)を使って仕事をするべきだと思ってます。
仕事の相手に喜びややる気がでるのが本当のやるべき仕事なのだと。
今日ももう少し読み進めます。
パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学、久しぶりに良い本に出会いました。
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2009年12月24日
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カテゴリ: パワーかフォースか、人間のレベルを測る科学
中心軸をもつ、ブレたら元に戻す・・・Ⅱ
U理論のプレセンシングが少しわかるようになってきました。
プレセンシングの前後にあるレットオフ、レットオンにきづけるといいようです。
前回の中心軸を持つ、ぶらさない・・・Ⅰの続きです。
何時だったか、大横綱貴乃花がテレビで話していました。
あの有名な2001年夏場所でケガを押して優勝した時です。
これまで13連勝で優勝間近だった貴乃花は武双山との一戦に望みます。
その時に、貴乃花は武双山に負けて膝を脱臼するほどのケガを負ってしまいます。
千秋楽には1敗の武蔵丸との戦い、本割ではあっさりと武蔵丸に敗れます。
その後の優勝決定戦、いわゆる鬼の形相の貴乃花だった時です。
見事に武蔵丸を破り感動的な優勝を果たしました。
当時の小泉首相のコメントもあってマスコミも大々的に取り上げました。
この2001年夏場所の武双山での一戦の時に貴乃花は「優勝」がちらついたと言います。
その結果、大怪我をしてしまいます。
良い相撲を取ろう、ファンに良い相撲を見てもらおうと思っていたから13連勝できた、しかし武双山との戦いの時に優勝(エゴ)がちらついた。
それが格闘技では大怪我になってしまう。
ここからは私の勝手な解釈ですが、負けてケガを負った貴乃花は
体が動くなら相撲を取ろう、良い相撲を多くの人に見てもらおうと改めて思ったのではないかと。
しかし、技術や力がほぼ同じ横綱武蔵丸にはケガをしている体ではかなわなかった。
本割の後、控え室に戻って何を貴乃花はしたのか、
おそらく何もしていない、ただもう一度「良い相撲を取ろう」と思い直しただけでしょう
次第に体と心が高揚してアドレナリンが多くでて痛みも感じない状態、もうそこには優勝決定戦でありながら「優勝」なんてどうでもいい、「無」の境地が創造できます。
優勝決定戦の後、時間が経つに連れて膝の痛みはかなりのものになったはずです。
貴乃花はいつもは真面目で「良い相撲を取ろう」と思っていたにも関わらず優勝間近になるとエゴが出てしまった。
エゴがでるのはしょうがないのでしょう人間である限りエゴがないのがおかしいのかも知れません。
しかし、一旦ブレた自分の心をもう一度中心軸に引き戻し感動的な優勝決定戦での勝利に結びつけました。
私にも良く似たことはあります。
私の仕事の中心軸は「お客さんを元気にする」です。表面的にはホームページを作っていますが中心軸はお客さんが元気になってくれることです。
しかし、お金が少なくなったり支払いが近くなるとブレます。
こんな時に営業の電話をしてもほとんど成約にはなりません。
そこで、もう一度自分の仕事は何か静かに見つめてみます、後は宇宙の叡智に全てを任せます。
人間だから中心軸を持ってもブレる時はある、しかしそれに気づいて元に戻すのが大切なようです。
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2009年12月17日
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カテゴリ: 幸せになるには
中心軸を持つ、ぶらさない・・・Ⅰ
人が生きていく上で大切なのが中心軸を持つことです。
中心軸とは「どんなことがあってもブレない信念です。」
中心軸がないとどうなるのか、私の経験から
- 本やCDを聞いても上辺のテクニックしか見えない
- 本質が見えないからテクニックが続かない
- 続かないから次から次へとテクニックを求める
- 何か劇的に変わる方法を求める
中心軸がないと本を読んでも、セミナーのCDを聞いても本を書いた人、講演している人の言葉の裏側にある本質が見えないのでテクニックだけがクローズアップされてしいます。
例えば、「葉書一枚で売上を伸ばす方法」と言う本があって、その中に「お客さんにはお礼状を書きましょう」の項目でお礼状の例文がいくつか書かれているとしましょう。
中心軸が定まっていない人は例文をただ真似するだけです、変えるのは名前の部分だけだったりします。
「お礼状」は感謝の気持ちを伝えるものだと思えれば自分の言葉に置き換えることができるのですが。。。
元々、お客さんに感謝していない人がこの類の本を読んでしまったら「お礼状を出す」=「売上が上がる」と考えてしまいます。
本質は「お客さんが利用してくれた」→「感謝の気持ちが湧いた」→「感謝の気持ちを伝えたい」→「お礼状で伝える」→「お客さんが喜んでくれた」→「再度お客さんが利用してくれた」→「売上が上がった」→「さらに感謝の気持ちが出てきた」→。。。
このようなプロセスが無限に続いてどんどん売上が上がるはずです。
しかし、深い部分が見えていない人は最初はお礼状を出すことで少しは売上が上がりますが、しばらくすると頭打ちになってきます。
そうなると、お礼状を書くことが苦痛になってしまいます。
苦痛になるとお礼状を書くことをやめて、次のテクニックを探してしまうのです。もっと違う方法があるんじゃないかと思って。
「この方法は私には(私の仕事には)合わない、本を書いた人だからできることだ」と自分なりの理由をつけてしまいがちです。
これが、以前の飲食店を経営していた時の私がしていたことです。
このような人は何冊本を読んでも、何回セミナーに行っても、何枚セミナーのCDを聞いても無駄かも知れません。(本当は無駄じゃないのですが)
U理論のダウンローディングばかり繰り返している状態です、I in it までです。
今回のテーマは何回かにわけて書きます。私が二度と同じ轍を踏まないように。。。
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2009年12月11日
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カテゴリ: U理論…出現する未来
柔軟に生きる
私が良く読んでいる荘子から。
もの、これに非(あら)ざるはなく
もの、これに非(あら)ざるはなし
自分が遠くにいると「あれ」と言うけれど、近くにいる人は「これ」と言う
自分が近くにいると「これ」と言うけれど、遠くにいる人は「あれ」と言う
人は、それぞれの立場で話をすることが多いのです。
私ももちろん、今の自分の立場、育った経験や環境で学んだことを基にして話をします。
私と全く同じ人はいないのですが、人に自分の考え方を押しつける言い方をしてしまうことがあります。
同じ物を見ていても近くにいれば「これ」と言うし、遠くから見ると「あれ」と言う。
どちらが正しいのか、どちらも正しい
意見の違う人と話をして言い争いになることがよくあります。
どちらが正しいかと言葉をぶつければ人と人の場合は喧嘩、国と国の場合は戦争になります。
有名な斎藤一人さんはこう言っています。
どちらが正しいなんてどうでもいい、どちらが楽しいかが大切です。
この世の中に存在するものは全て価値があり、正しいものばかりだと思えば、次はどうすれば楽しくなるかと考えるのではないでしょうか。
相手の立場を理解できる柔軟な考え方を持つと良いようです。
U理論だとプレセンシングに向かう時にはこの状態になるようです。
タグ: U理論, 斎藤一人, 荘子関連する記事
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2009年11月08日
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カテゴリ: 未分類
古いことはいいことだ
私ももちろんそうなのですが今生きている人たちは新しいものを好みます。
多くの場合は新しいものは古いものを改善して出来上がっているので新しいもののほうが使いやすく、安全です。
パソコン、携帯電話、その他の電化製品、家、車などもおそらく新しいもののほうがいいです。
私も先日携帯電話を新しくしました。軽くて、ボタンや画面が大きくて前の携帯電話より使いやすいです。
ただ、世に出ているものに完璧なものはないのも事実です。
ときどき聞く車や家電製品のリコールはそれを表しています。
私は仕事柄パソコンを使わない日はないのですが、WindowsのVistaは評判が悪く今でもXPを使っている人が多いです。
先日、Windows7がリリースされましたが暫くは様子見です。ただ、Windows7はVistaのマイナーバージョンアップなのでだ丈夫だとは思ってます。
(Vistaはversion6、Windows7はversion6.1)
話は少しそれましたが新しいものはベストではないことがわかって頂けたと思います。
古いものには良いものがたくさんある
このブログで良く書いているU理論、「出現する未来」を最後まで読むとわかりますが中国の古典にはU理論の原点があります。
老子、荘子、孫子などは今でも読み継がれているベストセラーです。
私は枕元に老子、荘子を置いて寝る前には読んでいます。
もちろん新しい哲学の本も読むこともあります。
日本にも温故知新と言う言葉があるように昔から続いているものには理由があります。
建築だと、ちょっと前まではツーバイフォーと言う言葉をよく聞きました、しかし今ではどうでしょう。
時計もデジタル表示がはやりましたが今はアナログの時計を良く見ます。
もっと、古いものを見直してもいいのではないでしょうか。
一時期の流行りや人気に左右されないものが古いものにはあるようです。
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2009年11月06日
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カテゴリ: 幸せになるには
